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アートマネージャーの会を開こう。小さな一歩。

 「劇場法」が早ければ来年度中に本格的に「制定される」事で私たちがそれを“待つ”立場から“その中で生きる”立場に変わる時がいよいよ近い。

 私は私なりにこの「劇場法」について現存の情報を飲み込み、それに向けての意見も少しずつ固まってきたように思う。

 個人的結論から言ってしまうと「今のまま施行されてもオーバーフローする可能性が非常に強くて、重要なのは同時に制作者への体制も整備して欲しい」という事を感じている。

 この政策は決してアーティストだけの為にあるわけではないのです。この政策は我々制作者たちの未来にも非常に重要な事でもあるのです。重要である事は誰でも分かっている事であるとは思うのですが、実際にこの法律が動いていく際に我々制作者にも少なからず色々な意味での「負担」にもつながるケースがなきにしもあらずという事。

 私はこの事を“制作者だけで話し合っていく事”が非常に重要だと思っています。私は政治家ではないのですべてを上手く国と絡めて話す事はできませんが、今持っている情報を伝える事だけはできます。

 重要度を決めるのはおかしな事でもあるのですが、対象的な順番は下記の通りです。

1.フリーの制作者
2.民間組織(劇場含)に属する制作者
3.公共組織(劇場含)に属する制作者

 私にとってはこの順番で重要度が変わってきます。その重要度は意思の問題であるとも思っています。

 近いうちに制作者同氏が集まってインフォーマルな形で制作者文化評議会のような仮評議会的なものを始めてみるのもよいかもしれません。芸術文化評議会などが成立してきたのならば、このご時世だからこそ制作者に特化した集いがあるのは当然です。アーティストが育ってきた影には必ずアートマネージャーがいるのですから。

 私は劇場法によって、制作者の環境が確立する事を後回しになる可能性は少しでも絶っておきたいと思っています。すべてが未確定の状態のこの状況下で一部の流れに身をまかせるのは危険極まりないと感じて発言をする事を重要視します。劇場法は何よりも時代を築いてきた人たちのために制定されようとするわけではなく、これからの時代を生きようとしている我々の為に制定されようとしているものなのです。

 これにこれからの時代を生きる我々が様子を見るというのはなんとも無責任な事だと思いませんか? 分からない事は知ればよいのです。まず、その第一歩を。

 私は踏み出し始めました。ただし、非常に小さな一歩です。
ryo * - * 01:28 * - * -

奇跡は起こるものだ。

 昨日ブログを書いたら今日、その中から数名とつながったという奇跡が起こる。奇跡なのか意識的なのかは分からない。

1.実名を挙げるのは気がひけるが、大師匠から突如電話があり、スタッフを探しているとの事。
2.師匠とばったりTPAM会場入り口で遭遇し、立話の末に「来週時間を作ってゆっくり話をしよう。」
3.感謝している方から突如電話があり、「源泉徴収票が戻ってきたんだけど住所って間違ってるよね?」

 三者三様の偶然があったが、想いはつながってる。不思議なものだ。

 もしも昨日のブログを読んで、理由をかこつけて連絡をくれたとしたら相当に喜ばしい。と、いうかそうでなくともそう思いたい。

 ……3つ目の要件以外は私を必要としてくれている人の発言だ。
ryo * - * 23:57 * - * -

年度末回顧

 事あるごとに言葉を残していく作業というのは決して悪くはない。年度末の月になったのでこの辺で少し回顧的に書いてみようかと思う。初めに断っておくが決して感傷的になっているわけではない。

 2005年に劇団制作社を立ち上げたわけだが、その前は制作という職務にどんなビジョンを見ていたかは今となっては分からない。分からないというのも嘘だが、昔と今では天と地ほど考えている事が変わっているという事は間違いがない。

 劇団制作社を立ち上げた当初は「小劇場界の制作者を専門職にすべく」というフレーズが命題的にあってそれに向かい尽力してきたのだと思う。まずそれを実現させるためには自らの身を確立させる事が重要であったわけで、それは意外にも2年程で達成してしまったのを記憶している。まずこの立ち上げからここまでの私の人生に影響を与えた人物は笹部氏(株式会社メジャーリーグ代表取締役)だったのはこれから先も変わらない事。次の言葉がこれからすべての原点となってくる。「自分の時代を作りなさい。」笹部氏にしては珍しい言葉をもらった瞬間の事は薄情だがうっすらとしか憶えていない。ただ、企画者要素を育ててくれたのは笹部氏であるのは確かだ。

 制作者として育ててくれたのは岡本由紀夫氏(現:サンケイホールブリーゼのチーフプロデューサー)である。岡本さんは現代の演劇界には既に化石化してると言ってよいほど「弟子は叩いて伸ばせ」思考を持っていた方だった。あの頃の制作者としての勉強時代は今、思い出しても辛く苦しい時代だったが、今、何が起こっても受け止める許容量が自分の中に形成されたのは、はっきり言って岡本さんのおかげである。私は岡本さんの事を「制作の師匠」だと考えている。20代で制作として確固たる何かを求めたい人は是非にも岡本さんの超スパルタ制作育成論の中でビシビシと叩かれながら育つ事を強く勧める。今の私の制作論は岡本さん無しでは考えられなかったと言っても過言ではない。

 劇団制作社の小劇場界での躍進はこれらの事により思いのほかスムーズに進んだ。「劇団フライングステージ(代表:関根信一)」から始まり、「クロカミショウネン18(代表:野坂実)」に続き、「innerchild(代表:小手伸也)」、「劇団鹿殺し(代表:菜月チョビ)」、「劇団、江本純子(代表:江本純子)」など他にもまだあるが“同世代”との関係を持ったこの時代は今後の財産に他ならない。他にもチケット予約フォームの在り方を考えたり、演劇祭という事の在り方を考えたりと四苦八苦したが多分、ここで書かなければ知っている人はごくごくわずかで(果たしてそれが声を大にして言える実績をあげたかどうかは分からないが)時代が流れていくとまったくその足跡を知らない人ばかりだと思うので記しておく。シバイエンジンCoRichチケット!(特にCoRichチケット!に関しては開発協力としてクレジットしていただいているなど大変ありがたい。)などに多少なりとも意見を反映させていただいたのは今思い直してもありがたい事だ。

 2009年までの4年間の間で私がもっとも感謝している人はNPO法人アートネットワーク・ジャパン(通称:ANJ)の蓮池さんである。とにかくANJは先見の明がある。と、いうかチャンスを与えてくれたのである。その寛大な心というのは持とうとしても困難な事であり、今更ながらに感謝してもしつくせないものがある。東京国際芸術祭(TIF)のにしすがも創造舎でのフロントシステムの基盤を作り、翌年には山岡徳貴子氏作・演出「着座するコブ(団体名:魚灯)」(東京/京都公演)を経て、F/Tが動き始めた際にさいたまゴールド・シアター「95kgと97kgのあいだ」を担当させてもらった。このGTが特に私の進む道に大きな影響を与えたわけだ。これによってさいたまの方がパルコに紹介をしてくださり、そこを経験してから劇団制作社に活動休止という決断をして現在、東京芸術劇場への道という風につながっている。

 この間、約4年。

 ありすぎるくらい色んな面倒もあったが、それもすべて過去の事なので最終的にはポジティブな人間が生き残る。途中、消えていったアートマネージャーもいたが、それもまたしょうがない事。ただし、この人は私にとって大きな岐路の先導者であったのも間違いがない。この人の名前は既に演劇界を退陣しているので割愛させていただく。

 今は「海外」というキーワードが頭の中に浮かんできて、5年以内に海外留学をしなければという事を考えるようになった。これからの自分を受け入れていただいた芸劇へ、そして誘っていただいた高萩さんへこれからの時間を
惜しむことなく費やしていきたい。

 ただし、最も重要なのは「自分の時代を作る事」。
ryo * - * 01:21 * - * -

待てど暮らせどの生活はそろそろ終了

昨年の11月からブログ名を“北区田端「駅前劇場」”から“北区田端「芸術劇場」”へ変更して大分経ったのだが、ようやく色んな処理問題が終了したように思う。

現在の環境には大分慣れた感はあるし、今まで以上にやりたい事をやっている気がする。ただしひとつだけ非常にストレスを感じている事というのは組み立てたものがまだ“現場”で姿を現していない事。もう本当にそれだけ。

現場という言葉だけ考えるならば昨年秋のパルコプロデュース「中国の不思議な役人」が最後の現場で、あれが終わったのが10/4だからもう丸5ヶ月が経とうとしている。人生における5ヶ月なんてあっという間だよ。と、いう周囲の声があるが、私にとって5ヶ月間積み上げたもの(達)がずっと具現化しない事なんてこれまでなかったのだからそれはもどかしい事この上ない。積み上げ開始は更に前だがすべてのものが5ヶ月間具現化しないというのはこれ相当に色んなものが蓄積されていく。

やっとそのストレスがそろそろ解消される時が近づいている。

やっと時代が来る。もう出口はすぐそこ。
ryo * - * 00:11 * - * -

「私」から「公」へ

ここ最近、自分がネットに出す文章について答えを出さなければならない時期が迫ってきている気がしている。これまで通りの環境であればそういった事はあまり問題にはならなかったのだが、そうも言っていられない状況がやってきたのでこれを機に一度整理してみる必要があるだろう。

まず現在の状況をざっと整理してみたい。

1.「私(個)」でやっていたものが「公」に変化したという点
2.業務内容の対象が「小劇場演劇界の制作者」という視点から「演劇界」という範囲に変化したという点
3.発言の責任所在が「自分だけにあるわけではない」という点

これだけでも変化としては大きなものだと認めざるをえない。従って、これまでのように考えていた「演劇への関わり方」というものが大きく変わる事は必然であると言って間違いがないように思える。そこで、現在の自分の発言環境における立場と類似していると感じるケースを身近なところでリサーチしてみると、次のようなブログが浮上する。

・PINstage高崎の「さくてきブログ2」
(ぽんプラザホール指定管理者であるFPAPの事務局長:高崎大志氏@福岡)
http://sakuteki.exblog.jp/

・中原めぐみのデッサンブログ#1
(大野城まどかぴあ職員:中原めぐみ氏@福岡)
http://dessin-blog1.jugem.jp/

劇団制作社は一時活動休止とし、団体としての活動自体はストップしている現状がある。ただし、劇団制作社は私自身が団体の意思でもあるわけだから私の活動=団体の活動という事であるのは実際は相違ないところでもある。しかしながらそれは必ずしもすべての人の見解を一致させるものでもないというのがおそらくこの論点でもあると思うのだ。

今日はこの辺にしてこれから慎重に自分を見直していきたい。ただ、書きながら思ったのは、

<業務内容の対象が「小劇場演劇界の制作者」という視点から「演劇界」という範囲に変化したという点>──この言葉。

これまでの私のコンセプトに「小劇場演劇界の制作者を専門職と確立するべく」が大きく根付いていたからこそ今の環境では少し歯車が違っているような気がする。そこにとどまりたいとはこれっぽっちも思っていない(ただし、やってきた事への意義には自負があるし、貢献もしてきたつもりだ)がここを調整する必要があるのだけは確か。これからは「演劇界全体」に貢献すべきである。

そのためにここから時間をかけて自分を問いただし、修正する時間を持たなければならない。
ryo * - * 23:06 * - * -

情報セキュリティー研修

別に最近のもろもろの事情の流れでなったわけではないが、今日は情報セキュリティー研修。最も衝撃的な言葉は「情報漏洩の可能性が高い人は仕事に責任感のある人」との事。えっ???

「仕事を家に持ち帰るから」だってさ。

確かに理屈は分かるのですが、それを言葉にするとなんとも微妙な気持ちに襲われます。
ryo * - * 23:30 * - * -

求められない場所でやり続けるほど安定求めて演劇やってるわけじゃありません

すこぶる寒い。雪が降る。新宿三丁目に新宿駅から行く時に地下道で行けてしまう幸せを噛み締めるにはまたとないシチュエーション。信号待ちもせず、雪で足を滑らせる事もなく、極寒に震える事もなく、マルイメンの神々しい誘惑にもそそのかされずに行けるこの幸せって言ったらない。

M氏は末広亭の前でブルッブル震えていたのに対し私はまるで自分の周りをエアカーテンが覆っていて「寒さなんて本当に感じるんですか、これで?」バリな登場をする。待たせておいてこんな事を言うなんてだが、それ程、大都会新宿の地下道は素晴らしいのだという事を言いたかったのだ。

話せば話すほど自分とM氏の考えている事というのには開きがあるなと思うのだが制作にも色々あってよいのだ。ただこれだけ違うのに同じ年齢だからか仲が悪いわけではないというのは素晴らしい事だ。同じ年齢の制作ってのは枯渇していて非常に残念。あと20年もしたら嫌でもダルマ落とし方式で自分達が演劇界を牽引するわけなのだから、その時に20年前の時代をわかちあえる制作仲間がいないと、年とって完全に世俗と離れて過ごす老人のようになってしまう気がしてならない。演劇を始めたばかりの頃のとにかく演劇語ろうぜみたいな年代はもう終わったが(勢いがなくなったわけではなくて一歩慎重に考えるようになった)今でも他に話し続けるべき事は限りなくあって、それはやはり同年代の制作と話し続けたいとは思っている。

あの時の判断はどうだったとか、求められない場所でやり続けるほど安定求めて演劇やってるわけじゃありませんから!とか絶対今、その意思を貫かないと20年後には後ろめたいものしか残らない。
ryo * - * 22:53 * - * -

大阪行きまして。

朝8:40東京駅出発で新大阪へ。火曜日の朝の下りはガラガラで貸切りのようだ。こんな時には3席くらい占拠してしまいたいのだがぐっとこらえる。そういえば鳥肌さんは飛行機でシートベルトをせずにずっと乗っている。それで添乗員が注意をしても絶対に聞かないのだがあのつまらない意地は未だに理解できないままだ。最終的には添乗員が諦めるんだからすごい。本当に小さな事だがあーゆう部分が個性っちゃ個性。こだわりっちゃこだわり。自分の個性ってのはなんだろうかと考えてみるが今のと比べてみると勝てるものなんて何もない。

大阪で打ち合せを済ましてIさんとUさんと飲む。京都にこちらから行けばよかったのに大阪に来てもらってしまうなんて申し訳なし。終電で帰るか迷ってたのだけどせっかく来たのだからとズルズルと自分の気持ちに流されるままに泊。個性だらけの街、大阪でふらふら徘徊。
ryo * - * 22:06 * - * -

温泉最高への道

 昨年末、西日本(というか広島あたりから九州なのか)の制作者が中心に集まって温泉地で忘年会をしていたが、これっていろんな意味ですごい事だと思うのです。ただ、「温泉最高」という国民が口を揃えていう言葉には疑問を持たざるを得ない。温泉最高、温泉最高と国民は皆、洗脳されたかのように言っていますが本当に最高ですか? その最高にはどこまでの意味が込められているのでしょうか? 温泉は確かに良い。気持ち良いし、疲れは取れるし。で、あとあるとすれば癒しの時間。ただ、この癒しの部分については部分的にそうでもないのですよ。

 私の場合、一人貸切りの時こそ「温泉最高」の言葉が出る。一人で広い空間に素っ裸で自由にしていられる空間なんて公共の場ではない。あるとすればアングラの舞台上くらいなものだ。道で素っ裸になってたらただの変態ですから。それができる温泉という魔法が人の心の中に「最高」の二文字を刻んでくれると思うのです。しかもですよ、女性ならいいですが、男の場合最大の問題がある。陰部を隠さず堂々を「オレは自由だー!!」みたいな感じで入っている人。アナタは確かに自由かもしれませんが、誰だって男の陰部を目撃したくないわけです。陰部って分かりますか? まわりくどい表現ですみませんが、陰部です、陰部。

 せっかく癒しの空間に来ているのにこれでは癒し度70%減ですよ。カロリー70%減なら良いですがそれでも「温泉最高」と叫べるのがどうにも分からない。知り合いの場合、特に普段の面識があるのにいきなり素っ裸を目の前にドーンとさらされた時の刺激の強さと言ったらないのです。

 私は声を大にして言いたい。「温泉の本当の良さを確立するためには湯船にもタオルを入れていい条例を発令せよ!」と。

 そういうめんどくさい事をのたまう私はきっと「一人貸切りの温泉にでもお往きなさい」と言われそうだが、それでも言いたいのです。

 巣鴨に天然温泉がある。ここの温泉に入った後に飲み会とかやったらかつて無い「癒し飲み会」になると思うのだが、このこだわりだけは捨てたくない。

 東京染井温泉「SAKURA」
http://www.sakura-2005.com/
入館料1260円なり。
ryo * - * 23:35 * - * -

電車逆に乗ってパニック!

iPhoneいじりながら羽衣に行こうと池袋から三茶に向かってた。渋谷でいつも通りほとんど隣の駅:三茶に行くために電車に乗ったら何故か表参道の駅。田園都市線に乗っていつものホームだった気がするが何故?でパニック。私はこう見えて開演時間に遅れるのは死ぬほど嫌いなタイプ。制作ですね。

とにかく逆に乗らなきゃと思うも意味不明にホームが見つからない。走りまわってたどり着いたのが半蔵門線のホーム。これで行けるか?行けないだろ。でも半蔵門線で行ける気がしてたのだから恐ろしい。この時定時5分前。さすがに冷静になって正しい路線はなんだ!?と思い駅員に尋ねるとやはり田園都市線。当たり前。教えてもらった路線に乗り込み、三茶到着は定時ぴったり。意外にホームから劇場まで距離があるのですよ。

押し時間を含めた開演しの1分前に走り込みで到着。

やっと治ったインフルもどきが再発しそうなくらい体力使った。

ryo * - * 00:43 * - * -
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