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年度末回顧

 事あるごとに言葉を残していく作業というのは決して悪くはない。年度末の月になったのでこの辺で少し回顧的に書いてみようかと思う。初めに断っておくが決して感傷的になっているわけではない。

 2005年に劇団制作社を立ち上げたわけだが、その前は制作という職務にどんなビジョンを見ていたかは今となっては分からない。分からないというのも嘘だが、昔と今では天と地ほど考えている事が変わっているという事は間違いがない。

 劇団制作社を立ち上げた当初は「小劇場界の制作者を専門職にすべく」というフレーズが命題的にあってそれに向かい尽力してきたのだと思う。まずそれを実現させるためには自らの身を確立させる事が重要であったわけで、それは意外にも2年程で達成してしまったのを記憶している。まずこの立ち上げからここまでの私の人生に影響を与えた人物は笹部氏(株式会社メジャーリーグ代表取締役)だったのはこれから先も変わらない事。次の言葉がこれからすべての原点となってくる。「自分の時代を作りなさい。」笹部氏にしては珍しい言葉をもらった瞬間の事は薄情だがうっすらとしか憶えていない。ただ、企画者要素を育ててくれたのは笹部氏であるのは確かだ。

 制作者として育ててくれたのは岡本由紀夫氏(現:サンケイホールブリーゼのチーフプロデューサー)である。岡本さんは現代の演劇界には既に化石化してると言ってよいほど「弟子は叩いて伸ばせ」思考を持っていた方だった。あの頃の制作者としての勉強時代は今、思い出しても辛く苦しい時代だったが、今、何が起こっても受け止める許容量が自分の中に形成されたのは、はっきり言って岡本さんのおかげである。私は岡本さんの事を「制作の師匠」だと考えている。20代で制作として確固たる何かを求めたい人は是非にも岡本さんの超スパルタ制作育成論の中でビシビシと叩かれながら育つ事を強く勧める。今の私の制作論は岡本さん無しでは考えられなかったと言っても過言ではない。

 劇団制作社の小劇場界での躍進はこれらの事により思いのほかスムーズに進んだ。「劇団フライングステージ(代表:関根信一)」から始まり、「クロカミショウネン18(代表:野坂実)」に続き、「innerchild(代表:小手伸也)」、「劇団鹿殺し(代表:菜月チョビ)」、「劇団、江本純子(代表:江本純子)」など他にもまだあるが“同世代”との関係を持ったこの時代は今後の財産に他ならない。他にもチケット予約フォームの在り方を考えたり、演劇祭という事の在り方を考えたりと四苦八苦したが多分、ここで書かなければ知っている人はごくごくわずかで(果たしてそれが声を大にして言える実績をあげたかどうかは分からないが)時代が流れていくとまったくその足跡を知らない人ばかりだと思うので記しておく。シバイエンジンCoRichチケット!(特にCoRichチケット!に関しては開発協力としてクレジットしていただいているなど大変ありがたい。)などに多少なりとも意見を反映させていただいたのは今思い直してもありがたい事だ。

 2009年までの4年間の間で私がもっとも感謝している人はNPO法人アートネットワーク・ジャパン(通称:ANJ)の蓮池さんである。とにかくANJは先見の明がある。と、いうかチャンスを与えてくれたのである。その寛大な心というのは持とうとしても困難な事であり、今更ながらに感謝してもしつくせないものがある。東京国際芸術祭(TIF)のにしすがも創造舎でのフロントシステムの基盤を作り、翌年には山岡徳貴子氏作・演出「着座するコブ(団体名:魚灯)」(東京/京都公演)を経て、F/Tが動き始めた際にさいたまゴールド・シアター「95kgと97kgのあいだ」を担当させてもらった。このGTが特に私の進む道に大きな影響を与えたわけだ。これによってさいたまの方がパルコに紹介をしてくださり、そこを経験してから劇団制作社に活動休止という決断をして現在、東京芸術劇場への道という風につながっている。

 この間、約4年。

 ありすぎるくらい色んな面倒もあったが、それもすべて過去の事なので最終的にはポジティブな人間が生き残る。途中、消えていったアートマネージャーもいたが、それもまたしょうがない事。ただし、この人は私にとって大きな岐路の先導者であったのも間違いがない。この人の名前は既に演劇界を退陣しているので割愛させていただく。

 今は「海外」というキーワードが頭の中に浮かんできて、5年以内に海外留学をしなければという事を考えるようになった。これからの自分を受け入れていただいた芸劇へ、そして誘っていただいた高萩さんへこれからの時間を
惜しむことなく費やしていきたい。

 ただし、最も重要なのは「自分の時代を作る事」。
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